こんばんは。すっかり夏を忘れた東京地方、まだツクツクホシイは鳴いてますが毎日蚊に食われるのはくそ暑い夏が終わった証拠。ジメジメしてパンはカビるは野菜は腐るは。野菜が腐るのは見切り品のせいかもしれないけれど。
今日は真っ黄色の黄蝶も飛んでましたが1匹だけで。1匹じゃ困るだろうに。そうでもないのかな、蝶それぞれ?
さて今日も別にお話はないのだけれど、今日(土)のNHKでタモリのブラタモリ、「自由が丘」やっててさあ。ご存じの方はご存じなように、自由が丘は私が生まれて25年間すごした土地、わたしゃ自宅で生まれたから。最近のことは知らないけど、とりあえず番組見ようかな、と思うやね。
そしたら「自由が丘」じゃなくて「中根」の御大が兄弟で出てきてさ、「自由が丘」をご案内してくださるわけさ。ちぇ。ちぇちぇちぇ。
わたしはいつもいうように保守派だからね。そんな隣村の地主に出てほしくなんかないやね。
自由が丘というのは衾村字谷畑というのだよ、そこの地主は「栗山」なの(テレビではどうみても名誉出演してたけど)。ところで中根の岡田という地主は、東横線の自由が丘の反対側、皆様の知ってる地名だと「緑ヶ丘」の地主。もっともこっちも衾村の地主だけどね。日本史や社会学やった方はご存じなように、自然村とはいえ、江戸時代には交替で地主が(一帯の)村長やってるわけで、人の土地にしゃしゃり出たからどうというわけじゃないのだけれど、しかし、私は字中根は嫌い。実際どうも現在の自由が丘開発には岡田がイニシャ取ってるようで、そう思えばもっと嫌い。私の自由が丘駅前を壊したのは中根の地主か、みたいな。
だからって岡田氏と争いにする気にはならないけどね、この気持ちを統合させて利害を先鋭化する要因があれば、そっから先はわからない、ということだね。
もちろん村々の争いは、水争いのように自分たちの命にかかわりがなければ、お互いの子供には関わらないけどね。ウヨどもはみんな勝手なこと口に出すけど、どれだけ自分でわかって言ってんのか振り返るべきだね、わたしゃ高校倫理の教師だから(なんどもいうように、ウソです)。戦争と共同体間の争いは違うのです。わかるでしょ? なかなかいい例を出したと思うのすが。でもいいとおもうのでこれを題にしよう。
さて、じゃ、くだらないこと言ってもいいよね。
くだらない書評。
執筆上、「民主主義」なるものの批判、なんか参照図書がないとかっこわるいじゃん。でさ、わたしだって社会科学系の万巻の書くらい(借りて)読んではいるけど、(みなさまも依るべきは大都会。1冊2千円としたって2千万円だよ、下宿代なんかおつりが出る)しかし雑本の読書録までメモなんかしないからね。あらためて図書館検索、大月書店に青木書店、みたいな感じね、で借りた湯川和夫「個人・人民・人間ー民主主義と自由」なる本。湯川という男、「全国唯研」のボスだと。いいじゃん、これ引用したらかっこつくぞ。
なんちゃってさ、読もうとしたら、読むに堪えない。電子データじゃないからコピーできないが、私を信用できない方は当該本の75ページ前後でも読んで。もちろん全本内容は一緒だけど。こいつらにとって、「人民」なんてウジムシ、虫けらのたぐいなんだよね。無知蒙昧の将棋の駒。てめえが虫けらのくせに。ほんと、どうしようもないやつらだ。わたしだってこんなの引用するほど落ちぶれちゃいないさ。
というわけで、現行歴史学者が過去議論の歪んだ批判をする気持ちが身に沁みました、歪んでも当然。本気でひでえよ、これは右翼とか左翼とかという次元ではない。99%差別か被差別か、という次元。マルキストの方々はよおく噛みしめるように。