リベルテールの社会学

隈栄二郎のブログ ―生きている人間の自由とは、私の自由と、あなたの自由のことだ。そして社会科学とは、この人間の自由を実現する道具だ。

思想は人民を裏切ってはいけない

 こんばんは。お暑うございます。東京地方、向日葵の次にはもう白粉花が咲いてきました。オシロイバナといえば、昔、実家の庭でベッキーちゃんのお母様と白粉花で遊んだような、、、なに言ってんだ、お前、という声も聞こえますが、「世の中は狭い」。これは何回も転勤、退職をした私が、よく後輩の方々に言う言葉ですが。
 そういえば、新入社員の方々には初めての夏。みなさま、体とシャツ等は、仮に食べる野菜を少なくしても、洗うようにしたほうがいいですよ、シャツしわくちゃでもいいから。臭いと社会的評価激減です。って、いまどき風呂のないアパートはまれか。銭湯、驚異的に高いけど。ってゆうか、銭湯なんてないか。
 ま、重要度の表現ということで。風呂の次には、野菜は食べないけんとよ。あまりにも高いけど。キャベツくらいは1個買って。
 
 というわけで、本日は事情で実家に行って、実家の駅の前の家財道具屋で時間つぶしの際、ふとみれば籘製のランプシェードというか電灯の笠、13000円。誰がこんなもん買うんだよ、すぐ壊れるし、と一瞬思いましたが、若いころはそんなこと考えなかったやね。一つの文化的アイテムが傍らにあれば、コーヒー1杯で、いくらでも世界を、宇宙を語れましたね。若い衆はいまでもそんなことをやってんのかな。アンバランスな家財道具は意にも介せず。いいですねえ、なんとも高い精神性。しょうがねえなあ、若人の特権。
 
 さて、本日の話、その2。朝日新聞に欽ちゃんのインタビュー記事がまるまる1面あって。含蓄深いことばかりで感心しましたが、なかで、芸人は、どんなに下手くそでもだれかに応援されるようならそれこそが大事な素質だ、と教えられた、とありました。
 たしかにねえ、芸人、相撲取り、昔の将棋指し、みんな(金を持った)誰かが応援するから生きてこれたわけで。
 これは含蓄が深すぎて整理されないまま、よく覚えておこうと思います。
 
 その3。朝日新聞憲法学者にアンケートして、”回答122人中104人が違憲、合憲は2人”とか書いておりました。
 わたしはご存知のとおり穏健派ですが、そんな記事には、だからなんやねん、と思いますね。
 要するに、「戦争法を作るなら改憲しろ」、ということで、なにも平和的な状況を報道したわけではありません。本当に残る問題は、これまでの左右両派がいう論議が、平和志向に寄与しているのか軍備増強に寄与しているのか、という1点。
 そもそもある人々が左翼であることの意義は、これから作る法律が憲法に合っているかどうかではなく、そもそも派兵して日本人民が兵士として人殺しになっていくのがいいというのか、殺されていくのがいいというのか、これだけのはずです(注:人間にとって侵略と自衛は違うものだ、ということは、「正当防衛」観念や「死刑正当論」が存在することで証明されます(=他人もそう思っている、という意味)。べつに9条改憲論者ではありませんが)。あとの論議は、改憲して適法にすれば誰にも文句をいわれずにしたいほうだいにできるのですから。それも言えないで、なんの「ヒダリ」?
 まあ、私のような穏健派のいうことといえば、世の中というのはそういうものです、くらいなとこですが。
 今の状況は、まだそこまで突き詰まる世界情勢ではない、というだけのこと。早い話、中国が発砲したら、戦争法案はすぐ通り、違憲判決がでれば1ヵ月後国会議決、3ヵ月後、国民投票憲法改正成立。まあ、それだけのことです。そのことだけを見ていてもしょうがない。
 もちろん、しょうがないから指をくわえているんじゃなくて、焦点を絞るところは、原則的な人民の立場を堅持する、ということだ、ということです。
 闘いは今日は敗れても明日もあさっても続いていく。さて15年後、このときに裏切りの過去がある思想など、糞の役にも立たない、ということです。何年後か何十年後か、人民を救うのは人民の思想以外にはありえない。もちろん、こういう主張はマスコミに向かってなど言ってはいません。要するにブル新。まともな新聞記者も、もしかすると1人はいるかもしれませんが。