リベルテールの社会学

隈栄二郎のブログ ―生きている人間の自由とは、私の自由と、あなたの自由のことだ。そして社会科学とは、この人間の自由を実現する道具だ。

「野蛮」と「傲慢」

 こんばんは。さすがに本日で勤務仕事1年終わりまして、あと数日、解放的心情。

 なんでもyahooニュースによれば、インド女性が蛮虐なインド男共に殺された、とのこと。
 その前はイラン女性でしたよね。
 ほんとに、後進諸国の下層階級の男共のやることといったら。
 
 上記の段落でいっているのは、
 1 野蛮な男共には、宗教など関係がない。
 2 後進諸国の下層階級の野蛮さには、権力の行使以外、なんの歯止めもできっこない。 
 の2点です。
 
 イスラム教でもヒンズー教でも、そんな宗教教義はそこでの人民の生活に何一つ関係はない。
 それらは要するに支配階級の自由を保障するものであり、である限り、弱いものを保護する契機(=要因)などもってはいない。
 
 そんな支配国家でほっておかれる下層階級は、支配階級の自由を体言する抑圧文化の価値のおこぼれにあずかった自分の力しか頼りがない。一方、自分の力は頼りになる。要するに「俺は男だ。女は俺らの道具だ。だって、お上も「良い」っていってるぜ。」
 
 タコどもが。
 ま、67年前後(いや、もちょっと後)の野蛮セクトもそんなものに近くてね。
 そういうド恥を今に伝える手段がゼロというのも笑っちゃう話じゃないですか。
 そんなクズ共が今じゃ大企業の取締役その他に居座ってるって、どんなもんですかね。
 
 ま、上記数行は余談。
 とにかく、私は原理主義アナーキストではないので、(権力嫌いの私でも)そうゆう下層階級の野蛮人は、国家権力か、共同体権力の下におかれなければならない、と信じてますよ。
 (都市中層人民の決起→支配権力の更新→都市部での女性向上→農村・下層への波及)
 将来的にはもちろん、無政府共産の、下層も上層もない世界で生きるわけで、葛藤はなくなるんですけどね。
 (注:近代下層日本人が野蛮人でないのは、共同体権力の強さによる。)
 
 というように、シンプルに書くのが、あるいは書けるのが、私の強さ。
 何が「強さ」かというと、論より証拠、急進セクト同伴者の数万人は大中企業の幹部。私は、いまだに70年世代ひきずり男。これが強さの証拠。
 ・・・分からない人は、「今日は(も)つまんねえや」にしといて、あとは分かった人あて。
 
 で、本日の後段は、もう少しつつましく。
 こんなふうに一刀両断、人の悪口ばかりいうクセも、一種、野蛮さの流れなんだろうな、と。
 これって、ほんと、殊勝じゃないですかね。あなた(?)方のような若い方には想像できない弱気な発想では?
 
 人それぞれ、一生懸命生きている、もちろん好き好んでなった大企業取締役でも、、、(いや、これは好き好みすぎてるな)、中小企業部長でも、彼自身にしてみれば、そうならなければ本人家族が生きていける方法が見つからなかったんだろうし、、、
 
 にもかかわらず、私はそういう方たちをケナシ続けていかざるを得ない。
 それは、そういう行為によって私は報われずとも著作作業を続けていられるんだ、ということです。
 人間あれもこれもというわけにはいかない。誰にでもいい顔はできない。
 同じ伝で、そういう私の勢いに巻き込まれた方には、素直に謝って、これを機に、私のそばには来ないようにお伝えするのが正しいんだと思いますね。

    てゆうか、まあ、こういう発言が他人には傲慢なんだけどね。