リベルテールの社会学

隈栄二郎のブログ ―生きている人間の自由とは、私の自由と、あなたの自由のことだ。そして社会科学とは、この人間の自由を実現する道具だ。

支配内社会事象とただの心理の醸出事象の差

 こんにちは。一時の暑さ(寒さ)も止んで、6月はだいたいこんなもの、紫陽花はいいねえ、青春の鎌倉から50年も経ったけど。
 
 最近はクマが逃げ惑うニュースばかりで、必死になって逃げる姿を流して何が面白いのか、と考えれば野蛮な人間たちはそういう画像を見たいんだね。クマも生まれて来た世が悪いと思うしかないやね。

 バカげた画像だと
「サグラダ・ファミリアの主塔完成 世界で最も高い教会に 教皇祝福」(朝日新聞)
「スペイン・バルセロナのサグラダ・ファミリア教会で10日夜、メインタワー「イエスの塔」の完成を記念するミサと式典が行われた。ミサを執り行ったローマ教皇レオ14世は、聖堂を「石、色彩、光」が織りなす傑作とたたえた。」
 いや、これは見てもらわないとわからん。サグラダ・ファミリアに赤や黄色の照明が灯って、ディズニーランドそのもの。ガウディが泣き出すぜ。

 いい画像だと
「JR東 新夜行特急の名称は「ルナ・アズール」品川~青森間で夜行運行 2027年度初めデビュー」(日テレNEWS)なんてのがあって、おやこれはかっこいい、デザイン日本人かねえ。名前自体は流行りなのか。夜行で秋田行くのと飛行機で行くのとどっちが安いかしら。

 さて、きょうもいちおうブログテーマに即しましょう。
 髙坂健次編「日本の階層システム6 階層社会から新しい市民社会へ」、東京大学出版会、2000年。どうせ無意味と思いながらも、少しは文献に載せておかないとバカにされるから借りて、といいながら、もう26年前の本だよ、執筆者の助手も教授になって。要するに人民に意味のない扱いをするからそれ以後誰も一般論をしなくなったわけだ。今じゃ社会学者が細々とやる仕事は、心理理論に個別現実分析。
 でさ、これはそんなことしちゃダメ、という他山の石。
 社会事象は、決してそれ自体としては存在していない。とりわけ裕福な自分の人生に関係のない事象を扱おうとするときはご注意ください。
 階層は、その人間行為者にとっての意味の支配内関係として見ることを止めた瞬間に、心理現象の醸出源の扱いに堕する。いったい、そんな心構えにしかならない論文の坊主の説教のような「理論」が存在する価値があるだろうか? いいや、ない。かくて階層理論は、さんざんコケにされたのちに消えてなくなった、というわけだ。階層理論は、心理現象の醸出源、すなわち学級理論や家族理論や労使関係理論ではないのだ。
 もちろん後進国人民の労働に食わせてもらっている彼等の人生には関係がないから、なくなっても彼らには痛くもかいくもないからいいのさ。さらにそんな「理論」はどうせどんな被支配行為者にも関係がないから、やはりなくなっても「いい」。
 だけど、それが社会学だ、などと思われちゃあ困る。人民行為者にとってはバカにするな、ということだ。おいちゃんは痛くて痛くてしょうがないよ。
 「階級」はもちろん「階層」も、被支配構造の自分の位置として存在するから人民の頭から消えることはない。
 ブルジョワ学者がそんなものにもう意味はないと言おうと、だいじょぶ、世の中にはプロレタリアの社会学徒が存在する。わ・た・し。

 わたしなんざ、「お前は一人でブルジョワして」、なんていわれたら恥ずかしくって舌噛んで死にそうだよ、噛まないけど。
 みなさんも、人に恥ずかしくない生き方をしなさいね。

 (ちなみに先輩方の名誉のために言っておくと、昔のSSM調査(社会階層と社会移動全国調査)の従事者の方々は、ブルジョワ・プチブルとはいえ、そんな他人事の研究はしなかったよ。ブルジョワには庇護すべき小作人たちがいたし、プチブルには可哀想で目をつぶるしかない友達の貧乏人がいたから。で、今はみんなが裕福? そんなこと誰が決めたんだね。お前だよ。一般論でくくりゃあ普遍理論になると思ったら大間違いだ。俺には関係ないって? じゃあはじめから触るんじゃねえよ。)

 個人話、
 わたしの長い誤解に「真崎守」と「真樹日佐夫」の同一人認識があってことが、「恋池りも」なる真崎の奥さんの本の宣伝を見て、やっと知れました。
 真樹のような右翼チックな漫画作家と左翼のマンガがなぜ同じか、という。おかしいおかしいと思いながらもそういうこともあるか、と思った私が、人生経験が多すぎたのでありました。ま、わかってよかった。