または、社会学3題。または、現象論・実体論・本質論の3段階。
こんばんは。ほんと、ここんとこ忙しくなくてうれしい。これがいつもだと、閑職といわれるところですが。
平日に書くと原稿進展がストップするので嫌なんですが、一方、原稿作成というのも孤立しては潰れましてね。
さて、今日は夕刊に3人の人間が(と思ったら朝刊)。(あとは例のごとく、アルコールと共に夜空へ)
その1 小熊英二
日本「1968年」についてなにか言っております。1968年の闘争世代の人たちは高度成長を背景としてるんですって。ぶっ飛んじゃいますね。私は1969年からですから関係ありませんが、先輩に、「後輩がバカでご愁傷様」とでもいいましょうか。
とゆうような別になんと評価する必要もない事実にそぐわない評論ですが、こういうのを現象論といいます。アナロジーですね。自分が知らない事象に対して、観念上、似ている何かを探し出し、これを全体に当てはめる。
現象論もいいんですよ、まず初めの一歩というのはそういうものです。
願わくば、その気持ちを持って哲学から社会科学に転身し、自称社会学者を、他称でも社会学者になって欲しいですね。
その2 知花くらら
世界美人コンテスト2位、ということです。沖縄出身の方だそうで。
そんなに美人でもないですが、人間に即して暮らしてらっしゃる立派な方ですね。
出身大学の講義中、「手りゅう弾てなに?」と隣りの人に聞かれて愕然としたそうです。なんとかいうフェミニストよりずっと社会学者の資格があります。ハッタリを言いませんからね。
(って誰の悪口でしょう?)
この方のように、自分の交際範囲を広げてそこでの反応を知識に編みこむのを実体論といいます。今は、実学の短大に通ってらっしゃるようですが、社会学というのはこういうものです。
その3 津村記久子
芥川賞の受賞者だそうです。
芥川賞、、、太宰治(落ちたっけ)とか遠藤周作とかが受けたあれ。昔は知識人の証のようだった、、、
なんですが、こちらの方は世間のことをなに一つわかっていない。あれもこれもわかんないよう、というご意見でした。
ほんとに何も分かっていないのですが、みたところ、それを分かりたいと思っている。しかもその基準を自分だけの世界の只中に求めようとしている。
これが本質論です。わかればね。
小熊氏には一生分からないでしょうが、1968年というのはその(=本質論に向かう)前段の年なのです。
人々は、自分にすでにあった基準を世界から取り返す、それが1968年です。その過程に行動がセットされてただけ。
「何かしたいから行動した」なんてうそ。それなら野球してたでしょ。
「わからないから行動した」それもうそ。わからないものに人間は命をかけない。
でも、そうした基準は、既に社会の表面からは消えてしまった。
本質論を探すためにはそんなものは消えていい。そこから自分の生きていく次第に応じて、その生きることにかなう論理を探す。それが本質論です。
津村さんとかいう人も、知花さんという人にいろいろ世界に連れてってもらうと、本当の芥川賞作家になれますね。
P.S.よく文を省略してて分かりにくいんで読み直して思ったところ
「1968の人は高度成長人だろう」って思う人多そうですね。小熊とかいう人の例じゃなくて、圧倒的常識だったりして。何しろ「東京オリンピック以降は高度成長」とか書いてあると、知らなきゃそう思いますよね。
高度成長突入期なるものがどんな世界だったのか、高校の日本史で教えろよ。
いままで食えなかっためしが食えるようになった一瞬だよ。1962年生まれのようにお坊ちゃまでなくとも高校にいけた年じゃないんだよ。慶応大学教授なんざにわかりゃしねえや。
P.S.2 翌日、30字増やしちゃった。