リベルテールの社会学

隈栄二郎のブログ ―生きている人間の自由とは、私の自由と、あなたの自由のことだ。そして社会科学とは、この人間の自由を実現する道具だ。

誉めるべき諸本

 さてはて。
 昨日はひどい内容だから追加でなんか言うだろうって? 思っていただいた方には申し訳ない。
 実は例によって風呂に入ったらそれまでの思索がすっ飛んでってしまって。じゃあ、なんか書いてきゃ思い出すかな、と。

 今週はなかなかまともな本を借りられて人生を満足できそうです。
 軽いところは、「文化を転位させる」、ウマ・ナーラーヤン様。作者はインド系の方で、第三世界の感性を馬鹿にすんなよ、という書物。
 なんてっても西洋文化上の本だから、本人の気持ちは、客観的には空回りだなあ、、もちろんそれはしょうがなくて、人は学者でも生活していかなければならない。
 ま、そんなことはよくて、感心の根は、どんな境遇にあろうと、人は、その生まれつきの構制(スタンス)の中で、彼女が生きるべき本性を知りうるということで。ほんと、特に女性を馬鹿にしてはいけません。彼(女)らは育ちの中でヒューマニズムの源泉です。
 と、同時に、彼女(作者は女)は知らないだろうけど、これがアナーキズム思想の勝利です。

 ついで、「キリストはエボリに止まりぬ」、レーヴィという人のよう。有名っぽいね。
 だけど、普通はそんな本知らないでしょ? わたしゃ知らないが、これはよい。
 この間(かん)、わたし、イタリアものを読んでたって言ったっけ? すべての知識は人民の生活を知らなければ全くの無意味。これはファシズム期のイタリア南部、よかったよ。
 同じようでも「フランス紀行」、アーサー・ヤング氏。フランス革命時人民を知ろうとしたけどこれはちょっとね、悪くはないけど私の時間を、また、ドライアイの目を、取らないでくれ。

 と、しかし風呂場で消えていった思索が全然思い浮かばない。
 
 次、これはいいよ。喜安朗氏「民衆運動と社会主義」。本人、昔の過激派のようだけれど今の人も知ってるよね、ま、本人の思想の変遷は問わない。 
 これはね、大戦間期のフランス・アナーキスト運動の時代的背景、私に言わせれば「制約」を綺麗に浮かび上がらせています。すごい。これを本人、「制約」と集約しないところが70年代だね。その後の変遷はいいません。

 さて、もう思い出したかなあ、、、
 
 だめ。、、、だめか。なんとかなりそうかと思ったけど。
 問題は、これらに共通する、「人民の人生」のことなんだよね。歴史に痛めつけられ続ける人民の人生。俺らのような70年安保前世代がこれを感じ取れるのが、歴史による祝福なのだよ、って言ったさきに誰もいないのが淋しいね。子供たちには無理だからね。
 しかし、仮に若人であればこれを感じられないことは劣等感でしょ?(個人の感想です)。祝福を受けた70年(を含む)以降世代は、ちゃんと自分の人生に組み込まないとね、あとちょっとしかない。その過程で、余りにも多い人間上のいざこざがあるだろうけどね。

 (、、、そでしょ? おかしいなあ、、飛んでった思索はなんなんだろう、、、