リベルテールの社会学

隈栄二郎のブログ ―生きている人間の自由とは、私の自由と、あなたの自由のことだ。そして社会科学とは、この人間の自由を実現する道具だ。

悪口数件その他


 こんにちは。先週に引き続き、土日休の方には絶好の盛春ですね。といいながら、部屋の中はまだ初春で毛糸のカーディガンが離せませんが。糖質制限のためか私にしては寒い。
 この間、毎回のように、「1、2日何もない(ことが蓋然的に高い)日は幸せ。」と思った瞬間に何かが起こる、ほんとに厄年以外の何ものでもない、もう静かに暮らしたいよ。とは思いながら、気がかりにも大小があって障害は薄く、今回は主観的には久しぶりに悪口三昧。

 まずは、平凡な感想。
 「絆創膏呼び方マップ」なるネット情報があって、元はといえば方言学者の篠崎晃一氏の調査のようだが(と隈の調査結果)、もうめちゃくちゃになって広がっている。いいのか、出所の分からない情報を拡散して。は、いいとして、中央にパッドのある絆創膏、あなたさまはなんて呼びますか? 私は生後27歳まで東京都の住民でしたが、キズバンと呼ぶのですが。通じるし。で、篠崎教授によるとキズバンと呼ぶのは富山県だけの特異な現象だと。東京はバンドエイドと呼ぶ、と。そりゃ正式に書くときは「バンドエイド(ジョンソンアンドジョンソン)」と書きますけどね。傾向で面白がるのはよかばってん、商品名を方言扱いするのは無理があるぜよ。

 さてニュース。その1。
 政府が高給取り高齢者の年金減額を止めるそうな。今は高給取りは年金支給が減額されるのですが、当然だね、年金は自分のカネじゃない。が、「厚生年金が減額され、高齢者の就労意欲をそいでいる」「在職老齢年金制度がなかった場合、フルタイムで働く60代の男性が約14万人増える」(毎日)と。こんなものはただの言い訳。そんなやつらが働く必要は一切ない、いやなら辞めろ。他の若人が働いて税金を納めればいい。働きたければ若人と同じに最低賃金で働け。そしたら年金減額などないのだから。つまりは高給資本家共の言い訳。

 その2。
 萩生田光一自民党幹事長代行が、地方議員の厚生年金加入を認めることについて「少なくとも普通の生活ができる制度は、セーフティーネットとしてあってもいいと思う。」(朝日)と理解を示したそうな。なんじゃそりゃ。議員は国民年金に入れるのだぞ。サラリーマン以外の日本国民は、すべて国民年金(しかもらえない)なのだぞ。有難いだろう? それになんの文句があるのだ。サラリーマン以外は「普通の生活」ができないとでもいうのか。
 ま、そうなんだけどね。しかし、いくら本当のことだって、てめえらで設計している制度について、余りにも無責任というものではないか。立法者だぞ。議員なんてやめちまえ。
  
 その3。
 新しい紙幣の津田梅子肖像が左右反転してるって。ネット住民がぎゃあぎゃあ騒いで。ばっかじゃないの。紙幣画は写真じゃねえぞ、肖像画だぞ。図工の授業で絵を描いたことさえない余裕世代。ネット見てると偉そうに「許せない」だのと、お前は津田梅子のなんだよ。何の関係もないくせに遺族が悲しむだとか。だったら津田なんか使うのはやめちまえ。
 まあ、こんな現象は簡単なことです。「マニュアルに書いてないことをやったから死刑だ。文句あるか。俺は偉いんだ。俺は毎日マニュアルどおりにやってるぞ」。こう言いたいだけ。日本の抑圧された幸せ国民は。犬小屋でわめくな。自分で世界を切り開いてみろ。絵の一枚も描けないで。こうゆうやつらに支持されてるアベも、いいんだか悪いんだかね。

 その4。
 朝日の1面大・論壇、「福祉や社会保障のサービスを受けるには、役所に出向き、面倒な書類をそろえ、自分で申請するのが原則だ。しかし、必要な人に必要な支援が届いていない。このままでいいのか」との問題意識。全くそのとおり。
 それになんだか呆れた回答が。鵜沼憲晴氏。皇學館大学教授。面倒な申請をすることは「人間らしく生きる権利、自分らしい人生を送る権利が国民にあるからです」だと。ずっこけた。自分らしい人生を送ることは「実現に向けて自分自身が準備したり努力したりすることと表裏一体なのです」。新品まっさらの「自助論」だぜ。問題はこれが資本主義経済哲学教授ではなく、社会福祉学教授だ、というところ。しかも朝日新聞が取り上げて。資本主義の腐朽はそこまで来てるのかねえ。
 皆様にだけお教えしましょう。サービス制度の申請制は、自分でしなきゃ役人がいくらいても足りないからです。それ以外にはありません。他人のことなど、調査権のある人間が、老いも若きも資本家もサラリーマンも、みんな含めて100人に一人はついていなきゃ分かるものではありません。後はただの言い訳。社会福祉学者が言い訳に乗るんじゃない。自分でできない種類の人間だから弱者なんじゃないか、そんなのは社会福祉の基本の基本。その基本への助力が現実には通らないから朝日が記事にしているのに。思うにこの教授はそんなことは知ってていってるんだぜ。知らんでいうネット住民よりもっとひどいさ。自由主義者には悪いが、福祉の放棄は資本主義の放棄でもあります。共産党がさぞ喜ぶことでありましょう。
 というと、自分の力で生きられないネット住民は弱者なのか、というと、ま、哲学的問題は残るけどね。
 
 その5。 (”5”もあるよ。気がかりでいっぱいだと、”2”もいかないのですが。
 「福島廃炉外国人労働者 東電「特定技能」受け入れへ」(朝日)
 ほらほら見ている前で怒涛のような外国人の下層労働者化が。「日本人が働いている場所は分け隔てなく働いてもらうことができる」そういうことで作った法律だから当然なのだが、当然そういう、人の嫌がる底辺に溜まっていく。しかも日本語が分からないからどんどん被爆する。「日本語が不十分だと危ないから雇わない」なんていうのは、この世の中、常に表面だけのきれいごと。せっかく希望に溢れて日本にやってきた人たち、の家族は、遠い国で不治の病に倒れた夫や子供を嘆き悲しむ。見れば分かる非日本語話者の底辺化は「層」となり、言語と顔つきの「区別」が「差別」となる。いやもちろん資本主義とは当然そういうものです。知らぬは資本家と労働貴族ばかり。
 
 その6。
 上野千鶴子の東大入学祝辞が少し話題。「大学に入る時点ですでに隠れた性差別が始まっている」「東京大学もまた、残念ながらその例のひとつです」。昔取った杵柄(きねづか)で懐かしそうな檄(げき)を飛ばしておりましたそうな。 
 結局女性運動というのは現状を生きる人間を肯定しなければできない。ざんねんなことです。要するに「女の私は資本家になりたいけどなれないのはなんで」という悩みを解決しないといけないわけです。というわけで彼女的には体制的に適材なところで一生近くをすごせたという、こちらはおめでたいと評すべき事態だったとわかります。左翼とリベラルは、かくのごとく取り組む対象が違うのだから、敵対してもしょうがない。これは人間たちのことではなく、マルクス主義者の自称する「イデオロギー闘争」のことです。イデオロギーマルクスの指摘どおり、すべて体制の歪みを反映する性格を持ち、その性格のために有効に作用するのです。なのに自称マルキストときたらてめえらの純粋培養の無価値なイデオロギーだけを追求するのですな。社会上無意味になるのも当然です。 
 
 で、最後。
 「日田市西有田の民家の玄関先に、生後間もない女の子の乳児が置き去りにされているのを住人の70代女性が見つけ、119番通報した。」「住人の女性は「泣き声が聞こえたので玄関に回ると赤ちゃんがいた。なぜうちなのか」と驚いた様子だった。」(大分合同)。こんなニュース、選択、変?  いや、このうちでよかったな、と思って。親子悲惨な熊本慈恵の赤ちゃんポストよりも。よかったのレベルが下すぎ? う~~ん、どうでしょうか、、要は、長年生きてて感受するに、この70代女性という人はよさげな人だ、ということで。