前回の続きで。
さてはて、ここリベルタリアン、またはアナーキストのブログで、現行体制を前提に革命がどうのというのもなんだか、とゆうものみたいですね。本当はそんなことないんですけどね。私は昔から穏健派ですし。
で、革命、つまり全ての差別・被差別・平等、その他を解放させる契機とは、常に、別の選択肢の中で、生存することができるか否か、ということにあります。
資本主義社会の革命で、資本主義的分業労働者が飢えて人口を減らすか、持続的に「国民一般」となるかも、当然、それによる。
こういうシンプルな話を自称『思想家』は知らないんですよね。
まあ、それもいいことなんでしょう。知ってると奥歯に物が挟まりますから。自分だけが正しいと思わない限りは。
国家は、その武力(=暴力=権力)によって、その時点での生産力を使って思い通りのことができるものです。
それを変革する武力革命の前提は、平民的武力、つまり常備軍の存在、そして生産関係的必要ですが、ここで生産関係的必要は、革命後の社会をも規定するわけです。
前回もいいましたが、後進国のほうがかえってよいことには、統御する生活水準が少なくていいことです。
食料といくつかの工業製品。インフラ。これで済めば話は楽です。そこに従事する人間たちのみ考慮すればよいし、いったん権力をとってしまえば無視することさえできます。しちゃだめだ、っていっても聞く奴らじゃないんですし、これが。
先進国ではそうはいきません。つまり、「比べてみれば先進国」ではなくて、絶対的先進国、というものがあるんです。
先進国では、いくつもの工業と、足りない農業製品を買う他国マネーと、なによりも役に立たない第3次産業労働者への公平的消費物資の配布をシステム化しないといけない。
現行の左翼の圧倒的に情けない理論水準、というよりも無理論の同好会のレベルでは、会結成後50年経ってもそんなことは頭の隅にもないようですが。
そんな困難な状況で、「生産点の奪取」などというスローガンには意味はありません。先進国では、まずは国家武力を手にする必要があるのです。
アナーキスト諸君もそこはわきまえなければいけない。まあ、遊びでアナキストをやっている諸君はどーだっていいですが。
マルキスト諸君も、アソシエーションはいいが、それで革命ができると思ったら大間違いです。
さらに、議会主義者の諸君も、だからといって議会主義で政権が取れると思ったら大間違いだ、とも言っておく必要がある。
どうしろと、いうんじゃい、というところですが。
いっているのは、われわれは、過渡期社会と、革命と、革命運動とをきちんと分ける必要がある。
第1に、過渡期社会では、アソシエーションもあるだろうしアナーキスティックな権力制御もありうるだろう。しかしまず革命により国家権力を奪取する必要がある、ということです。
第2に、しかし、爛熟期資本主義社会においては、戦争だ、革命だ、というお題目ではなく、人民全体の生き死にをどう制御していくか、というイメージを出さずに、デモごとき以外には、誰も動くものではない。それが持てない諸君らは、単に、遊んでるだけだ。
さらに第3に、しかし、革命運動とはもちろん選挙投票ではない。生産点の奪取には意味はないが、生産点をわが手に、と「言う」運動には意味がある、ということです。
せっかく、与党も日本のお飾りになるまで凋落したところ (日本を日常動かしているのは官僚と経済界、という構図がはっきりして、社会科学学生は勉強しやすいですよね。もちろん、官僚は、武力を動かすまでの政策判断はしませんが)、
政権を取ろうったら、インテリなだけじゃだめすよ。民主党や社民党のことですが。普通の人の志向を組み込まなきゃ。民主党的小泉とか、社民党的小泉とかね。別に支持する気はありませんので、深くは言いませんが。
共産党も今までの政治主義(=政治権力をもてあそぶ人間が、理屈を真に受けて近寄ってきた善良な人たちの肉体力だけを吸い上げてあてにして選挙運動に駆り立てる方法) のままじゃどうしようもなかったですが、ここんとこ、時代でしょうかね、善良な人も力を伸ばしてきたようで、とゆうよりは、年寄りが引退してきたようで、それはそれで。
ま、どーでもいいんだ。とりあえず。
大衆が動くにはまだ早い。