リベルテールの社会学

隈栄二郎のブログ ―生きている人間の自由とは、私の自由と、あなたの自由のことだ。そして社会科学とは、この人間の自由を実現する道具だ。

老後計画的人生訓

 こんばんは。皆様におかれましては楽しい連休など? わたくしも本日ようやくアルバイトも終わり、とてもうれしい。アルバイト、どうもこちら側の犠牲とあちら方の私のいない場合の苦労を秤量しますと、こちらの方が3,4倍重そうな。これは割が合っていないというわけで早々に退散。早々といっても人材切り替えの4月の1ヶ月はクリアというわけで。
 うれしいといってもそう簡単ではなく、まあ、だいじょぶかなあ、という気持ちもありまして。結局、事務屋というのは基本的にはその組織内で重宝されるものなんですよね(=でしか重宝されない)。

 おかげさまの教訓、その3 (1や2は面倒なので不問)。
 「短気な人間に関しては、人生、いつになっても10年計画で未来を構築なんて事態はありえない」
 ほんとこんなこと知ってもしょうがないかと思いますが。
 ただ、まだ余命のありそうな私としてはなかなか大きな、自分で知った人生訓。
 結局私には、あくせくと、目先のことをクリアしていってその過程で死んでしまう、という人生しかないようで。
 そうでない理由なんてのも確かにないし。
   人間、老後はいつかヒマになる、って誰が決めたことかな?
     もちろん私には誰もいってないし。
    
 それにしちゃあお前は悠々としすぎている、って、
 だから。体力のたの字もあったことがない私、目先のことをあくせくし続けるのは疲れるから悠々とあくせくするわけです。なんの矛盾もない。
 
 ほんとこんなことどうでもいいね。
 1万人にお一人様へのためになるブログでした。
 
 さて、と、昨今のニュースで、覚えようと思っても(酒を呑んでいて)覚えられない状況の中、ほんとシンプルにはいろいろなやむに立つこともよぎるんですが、忘れちゃうんで。忘れないというと、ウクライナ的国家分裂状況、これは新聞の見出しで。
 こういうのは、国家内に経済的地域矛盾があったとき、国家というのは経済を除けば武力にすぎませんから、いくらでも地域が破裂するという。隈的二分法の有効性の証拠みたいなものですね。国家支配権力とそれに取り込まれ追随する経済権力。
 ためしに沖縄にきれいな顔(比喩。アメリカや中国じゃだめ、といっているだけ(=事実認知原理の大きさ))と経済力を抱えた国家が武力介入すれば、「オキナワ自立国家」論などすぐ実現的になる、という話ですな。
 北海道アイヌは、本質的には同等だけれども、すでに人的=文化的に遅い、100年遅い、てなわけで。
 こっちの話のほうが役に立つ?
 残念ながらこんな評言の基礎はもう30年も前から左翼にはポピュラーなもので、「地域の差別が民族闘争を生む」 みたいな。これはわたしのアタマの成果じゃない。
 初めに言ったのはだれなんだろうねえ。なんでもコロンブス。あたりまえじゃん、と思っても、それまでの「パラダイム」(この場合思想中心主義)を変えた。思想中心主義は、新だろうが旧だろうが、左翼は基本、前衛主義者、間違ってようが当然のパラダイムだったからねえ(、、、今でも)。
 で、30数年前、だれがはじめに広めたんだろうねえ(もちろんいつの時代でもささやく声で正しいことを唱え続けた人間(たち)がいるんだよ、でもその瞬間にだれかが広めたんだね。まあ他人のことなら正しく評価するのはちょっと頭が良ければできるからね)。
 なにしろわたしは青春のみぎり、差別だの地域だのというのには興味がなかったもので。まあ、その辺の小ブル雑派のだれかと推定しますが、宣伝家にすぎないとはいえ、立派。