こんにちは。連休、また台風ですね。
金曜、用があって高岡へいって周辺で遊んできました。東京を離れるといつも思うのですが、ここも不思議なことに、一日じゅう町を誰も歩いていない。県下第2の都市というのですが。東京の人間が異常なのでしょうが、どこが違うんでしょうねえ、、、
困ったことに、駅前にラーメン屋さえ見つからない。ふつう、寿司屋とラーメン屋は、関西は知りませんが、どんな町にもあるものなのに。(以前は、蕎麦屋も必ずありました。今はみつからないところ多いですね。)
ただ助かることにアレルギーの雑草がなく。一帯は全部コンクリート、隙間に開発草=セイタカアワダチソウが茂っているだけ。まだまだコンクリート化するんでしょうねえ。
さて本日は、日常スローガン。なんでもノーベル賞の天野という人が鹿児島の小学校の時に「かんつけ」 噛みつけという言葉を習ったそうな。わたしも鹿児島出身の竹之内先生に「真善美」 という言葉を習ったぞ、と思い。
で、本題の前座。「自由、平等、+友愛」。フランスの国是ね、三色旗。
これはわたしなど何度も言うように、革命が収まった後の総括語。自由と平等のために戦って、さてそれが収まるとどうもこのまま戦闘感情のままだと具合が悪い、秩序が成立しない、というわけで、友愛。この3つが普遍的な民衆革命のコトバというわけです。だいたい人間もその他哺乳動物も、たかだかな生活もせずに死んじまうんだから、そんなにたいそうな標語が存在するはずもない。
というわけで、本日の「たかだかな標語」の本体、「自由、正義、+地域愛」。アメリカの国是のようなものね、If I had a hammer。ゴスペルソングじゃないぜ。ただのフォークソング。
アメリカの場合は平等はまずいね。原住民を駆逐して自分が居座るんだから、イスラエルのようなものだ、自分の行動の自由と「正義」さえあればいい。といっても、開発集落の暮らしは常に死と隣り合わせだから、「われわれは兄弟だ」 といって助け合いの秩序を作らないといけない。
で、この「正義」 なる、得体の知れないやつ。
きほん、「正義とは力である」 ね。リンカーンが言ったって、ほんとかね。ふつうの「力は正義」だ(みなさん正直だね。破廉恥だともいえると思うけど)と説明が逆になるのでとりあえずこの順で。
じつは正義感の強い子供のわたしなどには想像もつかない言葉で、これはじめて教えてくれたのがこの前も(UFO話題で)お話した高校の沼川淳治先輩。はじめて聞いたときは平等主義の先輩なのに「えっつ?」てなもんで、しかしそうでない例も思い浮かばないので、なるほどねええ、、、と感心したものですが。
で、本日のポイント。
ギリシャ、アテネの時代から正義=力であるにもかかわらず、なぜ正義は力のない個人にとっても正義でありうるか。
答え、自分という人間の力が込められているから。
成立した個人である人間というのは、やはり、他人の壁を突破する力があるのね。っていうか、そうでないと、基本、一人で這いきる道が開けない。その力を持てるように成熟した個人がいれば、彼などは正義を持つ。
他人の前に縮こまる人間には、正義はない。「いったい正義とは何でしょう?」。宗教もない日本人にとって、わからない人にはわからない。サンデルなどの論議に入る意味さえない。もちろん、それでよいの。対抗する宗教イデオロギーが存在しない安定した社会では個人の正義など必要はない。
社会に正義はあるか? あるさ。国家権力があるから。権力が正義だ。
その正義は正しくないか。正しいわけがない。わたしの正義はわたしの力の中にある。かくて個人がまともであれば正義は多様だ。そして正しい正義はたった一つ。自分の中にあり、他人の壁を突破するもの。
隈、高校1年じゃあちょっとわからないのもむりはないでしょう?
なお、この先輩が2回もでてきましたが、じつは影響が大きい先輩は同じく新聞部の駒ヶ嶺M人先輩。いえ、フルネームだとすぐこのブログが検索されちゃうんで失礼ながら。わたくしにアナーキストであってもよいのだと初めて教えてくれた先輩なので。なんて検索されちゃあごめいわくだあね、一流企業社員だったし。わたしは詩人だったので、中学生の時期からダダイズムルートでアナキズムも知っておりましたがはちゃめちゃなだけで魅力の薄い主義でしたところ、この先輩が部室で黒ヘルを丁寧に塗装してて。真っ黒に綺麗な赤の縦デザインが。おう、美しい! これが無政府主義か。ナイスッ! 変。でもそういうこともありますぜ。センスのいい先輩でした。ま、昔話で。 え? 状況不明? そういう時代なの。社研とか新聞部とかね。