リベルテールの社会学

隈栄二郎のブログ ―生きている人間の自由とは、私の自由と、あなたの自由のことだ。そして社会科学とは、この人間の自由を実現する道具だ。

ムスリムの下部構造

こんばんは。

 ささいな論及が続いておりましたので、ここらでコーヒーブレイク
 と思いましたが、ここんとこ2日間ほどアルコール摂取量が減っておりまして、なんやかやとの思いは幾つもありながら、わざわざ書くほど、ためになるように結実しません。
 アルコールなどの薬物は、中毒すると、それなりに効き目はあるものなんですな。
 というか、ナシだと、アタマが働かなくなります。まあ、職業仕事くらいは誤魔化せますが。

 しょうがないので、生(ナマ)で、ためになる記録。

 山内昌之という人がいまして、いまどきイスラムの本を探すとやたらでてくる東大教授の人で。ほら、ここんとこイスラム勉強してたから、(って、ほら、はHPの話題か)。
 なかなかためになる評論家で、職業は歴史家というそうですが、ま、評論家だけど、量でカバー、という人ですね。
 たとえば、今拾ったyahoo検索、1ページ目によると
 『(彼のある本は)、「イスラム史の主軸であった宗教と権力の相互関係を現代社会の構造のなかで理解すること」を目ざしており(本書331ページ)、このため、「イデオロギー分析と歴史学分析の相関的接近」という方法を採用している ...』
 みたいな仕事をしてる人です。
 
 この人は若いときはマルクス主義者だったのですが、不思議なことに今は「上部構造-下部構造」図式を憎んでおりまして、「イスラム関係人は、宗教=イデオロギーによってしか把握できない」と主張して止まない人です(『イスラム大衆は、地域のイスラム集団の宗教とイデオロギーと権力構造に沿って生きているから』、みたいな趣旨です)。ま、「権力」も足して、上記にあるような宗教+権力図式ですか。要するに下部構造はナンセンス! とゆうわけですね。
 
 でね、主には若い人向け知識。
 上部構造-下部構造図式は、ほんとはマルクス主義活動家は嫌いなんですよ。
 そんなのは年寄りの言うことでね。
 若いときに何で命を賭けるかって、自分の行為が役に立つからでしょ?
 自称マルキストというのは、第1に、そんな自分の意志が必ず歴史に反映すると思い込むものです。
 第2に、そして好きなものが権力です。
 自分が行動して何をするか、って、その場の権力=ヘゲモニーを握ろうとする。いや、ちっちゃいちっちゃい権力ですけどね。それに命を賭けた自称マルキストの人々は、イデオロギーと権力が大好き。特に「ブント」と呼ばれた人たちですが。
 
で、
その1: どんなに博識に見えても、パースペクティブ=ものを見る視角というものは、若いときからシンプルかつ変わらないものだ、ということです。特に歴史学や社会評論というものは、何の根拠もない「視角」で、一見した「論理」、要は話が、進んでいくものなのです。
 なので、私などはこのブログに来るような若い人は、それだけで頭が柔軟な人だと思うんですよね。

その2: こっちが本体ですけど。
下部構造というのは、ブントを主体とした人たちが思うような、資本主義や社会主義の経済体制のことではありません。
そんなことがあるはずがない。
(ブントとしかいわないのは、革共同とか名乗る人たちは、この手の話に深入りしないからわざわざ指摘しない、というだけです)
 下部構造とは、個人の行為に生理的に制約をかけていく社会関係のことです。従って、都市経済や政府経済からはるか離れたイスラム関係人(=ムスリム)にとっては、その生理性は、はるか彼方の社会体制ではなく、具体的に今日の自分を縛っている、共同体の関係性であり、またそこでの賞賛や優越を醸成する関係性なのです。(モデル理論や小さな国なら、政府経済とほとんどイコールだけどね)(地域のイスラム集団とは、要するに生活共同体のことでさあ)
 ってあたりまえじゃん。なんだかねえ。
 あたりまえのこともわからなくて、よく本が何十冊も書けるもんだ。
 でも昔はそんな把握でよかったんだよ。学生の下部構造なんざ家族・学校構造だからね。とりあえず、優越も賞賛も出来高払い、個々の場面で勝ったもん勝ち、それで終わる話だからね。
 そりゃ資本主義的学生位置というのもあるから一般論を唱えると少し複雑だけど、こっから先は、ここでいってもしょうがないので、またいつか。

(すいません10.21.21時過ぎにこのブログ見た人います? 以下、P.S.付けるとこ間違えちゃった)
P.S.はああん、山内進
  て、全然知らない人ですけどね。
  いちおう、発言したことは万全にしておこうという、当たり前な感性はありまして(ふつう、書く前に調べるって? ま、それはそれ)、今日読んだ 「西洋法制史」、山内進という人が、序論を書いていて曰く、『ある特定の「下部構造」からあたかもすべてが流出してくるかのように「法」を理解することは出来ない。』なそうな。
 へえ、おもしれえじゃんか、やってごらんよ、と見た結果は、何百もある共同体をいっしょにした議論。バカか。とりわけ資本主義以前古代に、何百の共同体に同じ下部構造があるかよ、と。はん、そんなもんさ。実証を続けている人間にはバカ以外評価のしようがないんじゃないの。1大学の事情は知りませんが、永原慶二が泣く、といったら、そうだよね、という声が聞こえてきそう。
 有名じゃないのは、あんた、自分のせいだよ。

 どう論議が発展しても、こういう人相手では実りがないのが分かりきってますので、日にちは変えず(今日は10.21)、P.S.でやめおきます。