リベルテールの社会学

隈栄二郎のブログ ―生きている人間の自由とは、私の自由と、あなたの自由のことだ。そして社会科学とは、この人間の自由を実現する道具だ。

立場を生きる

 今日もちょっとかるめな日記風。

 私も長生きしてますが、世の中で、へえ、この男は、と思う人に明川哲也、という商売不詳の人がいまして、ドリアン助川
 もしかするともっと前に知ってる人かもしれないけど、暇読誌の朝日新聞で、人生相談をしています。
 へえ、オイラと一緒じゃん、みたいな回答をするので、若いのに立派な奴だ、と思っておりましたが、それが、今回(2,3日前)の悩みへの回答が、この立場を生きる。
 ま、記事の中身は省略します。
 
 で、この、 「立場を生きる」。Yahoo検索で100件、ダブリばかりなので、実質5,6件しかないことに驚き。
 もっとも、その5,6人は気の利いたせりふを言うとでもなく、平然と使ってますので、やはり若いときに仕入れたんでしょうね。
 さて、皆が忘れて覚えてるのも右翼ばかりというこのコトバは、もとはといえば、今は亡き教祖と呼ばれた黒田寛一の広報に由来するものです。そのまたモトは知りませんが、なんであれモトの意味は消えています。すでにクロカン氏傘下の人々、60年代新左翼諸派の人たちは、中央に近ければ、セクトを問わず、この語を自分の立場として翻訳していったわけです。 (関西方面には、こーゆーのとは無縁な人はいたようですけどね) だからこの魅力で、全ての他セクトに嫌われようと、彼氏のセクトは生き延びていったともいえそう。
 いわく「場所的立場」。Yahoo、75件。信じられない少なさ。そんな世の中なんだねえ。
 過去それは、人間として正しい全面を持っていたわけでした。広報者は一面的に矮小化してたと思いますけどね。
 
 われわれが生きることができるのは、自分の置かれた立場だけだ。どんないいカッコしようと、どんなおせっかいをしようと、どんな慈善家のフリをしようと、何を人に非難されようと、人間はモノを食って生活する限り、自分の立場しか生きられない。しかし、自分の立場を生きることはできる。それが不幸であれ幸せであれ、それは自分だけの生だ。この生は、自分のもの、自分が抱えていくものだ。
 
 昔の若者もなかなかいいことを考えてたでしょ?
 今は誰も考えちゃないけどね。クロカン直下の人間たちも怪しいものさ。いまどき、これを広めるのは、わたくし、隈くらい。
 気を入れて書いたのが「風とベイシティ・キャット」なんですけどね (なんですが、知識社会学基礎理論でもありますよ)。(しつこく追加すると「光と影とネズミの王様」の方は普通に書いた場合)
 
 ポイントは自分の生をかけがえのないものと考えること。そして、それに関わる人のことを自分のものとして考えること。
 
 流行らないのかねえ、、、人のことはわかんないけど、ぼくにはそれが大事です。
   あ、だからわたしゃ嫌いな奴とは付き合わない。自分の生にはいれない。心が狭いの。
   そこが多分、明川哲也氏とは違うんですよね。私は自分の欠点を知っておりますから、平気で他人を褒めてしまいます。
   彼氏、りっぱなひとですよ。詩人もしてたとのこと。どんな詩を書いてたのかな?