リベルテールの社会学

隈栄二郎のブログ ―生きている人間の自由とは、私の自由と、あなたの自由のことだ。そして社会科学とは、この人間の自由を実現する道具だ。

将棋雑感

 こんばんは。暑くてつらいこと。といっても、こればっかりは若い人にはわからないですね。こればっかりでもないけど。

 本日は新聞に佐藤(博)とか筒井さんとかいう、要は社会学の人が(貧困労働や女性労働の)良識を代表して意見を言っていて、そうだよなあ、実証系の社会学者はそうやって事実をまともな言葉で述べるから存在価値があるんだよなあ、と改めて感心した次第。
 たぶんお二方とも左翼じゃないだろうけどね、それでいいんだよ、世の中。右であろうが左であろうが、人間的に事実を述べていれば自称左翼よりもずっと人民の役に立つ。
 今、右ともいったけどさあ、自称昔アナーキスト赤尾敏の右翼愛国党、戦後、浅草本願寺のホームレス強制排除の時、韓国人ホームレスのために官憲と闘ったんだってさあ。窮鳥懐に入れば、って、自称でもモトアナーキストだねえ、ネットウヨとは偉い違いだ。もちろん、そういう利害関係なのだろうが、利害云々というのも人間の生活のことだで、口先ウヨと違うだけで評価したいさ。ま、これは閑話。
   前に戻って、教授連。まあ、わたし的には、知ってる事実の量が少なすぎる気はするんだけどね。
   それでも、もっと知ってる人間には発言機会などないし、あったところで朝日新聞の読者に影響力はないし。
   要するに世の中、個人の問題なんかじゃないからね、トータルうまくいってるのさ。

 
 さて(原稿は孵化を待って温めつつ)、ようやく時間もできてこれからの最後の2回目の人生をどうしようかと考えつつ。
 なにやっても勝手きまま、しがらみゼロだし、資本家だってやれるさあ、と思って気がつきましたが、もうすでに期待値ってできあがってるよなあ、と思い。
 「なにあいつ、あんなことやって。老いぼれたね、幻滅だな」「幻滅だわ」
 っちゅう話は避けるのが当たり前だな、たしかにそう勝手気ままではない、という。
 
 まあ、そんな高校三年生的考慮に浸っております今日この頃、これでは個人日記。

 
 そこで、なんとか役に立とうというブログ。さて、本日は将棋。
 将棋世界に羽生という極端に強い男がいまして、どうも気に入らない。
 言わせてもらえば、勝つために悪魔に魂を売ったかのごとき状況に陥っているのではないか、と。
   これはちょっと高級な話なので中級者以上ね。
 
 まずだれも気づいていないことですが、将棋というのは、指している人間が自分の思うように、どのようにでも構想を組み立てられる、そしてその構想のように試合をして、間違ったとかよかった勝ったとかいって終わる、そういうゲームです。
 そんな、指している人間の構想を反映できるほどに、将棋は複雑に指すことができるようになっているのです。最終盤は別として(また、昔の将棋指しがバカバカしいからうっちゃった相懸かりは別として― そこまで複雑ではない)、こうやれば絶対勝つ、などということはない。
 
 ところが今のマニュアル若人プロといったら。
 「研究する」などという美辞のもとに、せっかくある複雑なゲームの単純化した局面しか指さない。だってこれが今話題なんだもん、だってこれ見てこの手、おいらが考えたんだよ。
 受験勉強じゃねえよ。

 
 そんな若人プロの中で、羽生という男は、「こうすれば勝てる」パターンをつかんでしまった。
 勝てりゃ勝ちたいやね、何億だって儲かるんだから。
 しかし彼が探すのはある局面での勝ち方だけ。将棋ってそんなもんか? 勝ちゃあいいのか?
 将棋っていうのは、こうやってこんな形にして、それで相手を圧倒してやろう、そういうもくろみを相手にぶつけるところがおもしろいんじゃないかい、っていうよりそれが面白くもないのに将棋をするのは変だろ。
 
 いまはいいさ、まだ彼も半分くらいしかつかんでなさそうだから。
 それでこうやりゃ全部勝つ、ってわかったとき、それは人間の将棋じゃないね。
 強すぎるからじゃないんだよ、ただ賞金のカネのために指してるだけだからだよ。そんな人間はいらね。将棋は人間同士のゲームだ。
 まあ、そこに達しもせず、受験勉強のような将棋を指しているその他大勢は、もっと論外だけどね。

 
    升田は偉い。大山もその次に偉い。自分の構想で相手と戦うこと、そして「その上でも強ければ勝てる」ことを、世間に教えたからね。
    若人プロは、受験勉強将棋はやめろ。そんなものはどんな学生アマチュアだってできる。