リベルテールの社会学

隈栄二郎のブログ ―生きている人間の自由とは、私の自由と、あなたの自由のことだ。そして社会科学とは、この人間の自由を実現する道具だ。

Voyant,あるいは前衛(その1)

 今日の題は、弱いものいじめです。

 ん、そんな題か?
 といわれるとそうでもなくて、
 Voyantというのは「見る人」、ランボーのテーマです。預言者なんて訳してあったりすんのはいかがなものか。「見えないものが見える人」でしょうね。


 さて、ここんところ気になっている弱いものイジメ。

 弱いものなんかいじめてないよ、とこのブログの読者の人たちは言うでしょうが、
 高級官僚イジメに、ここんとこは大麻吸い者イジメ。裁判員? オッケーさ。悪いやつは罰を受けて当然。おれが裁いちゃるぜ。
 何かといえば、ブログ炎上。わたしんとこは炎上されないのはいいことか悪いことか。

 まあそういうことではなくて、シンプルにいってしまうと、人は弱いものイジメが好き。ほっといたらいくらでもする。
 違う? ここに来る人は例外が多そうだからねえ。
 では、人の9割は弱いものイジメが好き、ってことで。

 お客さんがなんと言おうと、日本の社会はそんなものさあ。
 日本では、共同的な規範が確立されている一方で、孤独の淋しさも悲しさも分からない。分かれば、一人だけの生き方を確立せざるを得ないってことですけどね。
 かくて、個人の生き方も確立させないまま、共同的な規範の緩まるところでは、したい放題に優越的自由を振るう、ということです。
 気になるなあ、弱いものがたかだか権力者や犯罪人である間は罪は軽いけどねえ、でも権力者も犯罪人も生きているんだよ、って、アナーキストで死刑論者の言い分か、と思われるでしょうか。

 いってるでしょ。食わなきゃこちらが死んでしまうにしても、喜んで1歳にもならない子豚を殺しちゃいけない。もちろんそんな牧畜業者はいない。みんな感情をなんとか殺して仕事をしている。しかし、そんなその他民間人がいるんじゃないか、ってことです。

 いやね、わたしも心が狭いから、権力者や犯罪者ならいいや、でも被支配者がもっと弱者だったらどうするの? ということでもあります。
 たとえば、日本国内黒人、21世紀以降、日本の共同体規範崩壊後に入ってきたアジア人ですね。(これも朝鮮人の既問題があるので、微妙な言い方ですけど。)
 なんとか朝鮮系・フィリピン系等の人たちの問題は、団塊の世代に続く世代が収めつつある。でも、またそんな日が、改めて来るだろうな、と思います。