リベルテールの社会学

隈栄二郎のブログ ―生きている人間の自由とは、私の自由と、あなたの自由のことだ。そして社会科学とは、この人間の自由を実現する道具だ。

科学の言葉(その1)

 お暑うございます。そろそろお盆でみなさまごゆっくりされるところでしょうか。
 私めは旅行の本を読んでゆっくりしていたところです。仕事は暑いうちは何も進めなくてよいという長年の経験による自己了解がありまして。

 で、2,3回前に戻りまして、世間がつまらないので何か面白いことを探してネットサーフィンしていたところ、相も変わらずまた左翼的に悪口合戦(とゆうか、殺し合い)がはじまりそうな様子。まあ、その筋の話なんで、皆様にも私にも他人事ですけどね。
 そーゆうのはもちろん自業自得でよいのだけれど、しかし虚しい気がしないですか、ご同僚。(といって、今さら、左翼なんていないんだろうねえ、ご同僚もないか。)

 この前のW,K.おじさんもそうだけど、世の中って悪口だけで生きてる人間がたくさんいるんだよねえ。
 一生他人の悪口を言い続けて。
 言ってるほうも聞いてるほうも、本当のことだろうがウソだろうがどうでもいい。悪口さえ言えれば、聞ければいい、
 
 もともと、人間の行為は、生理性に関わらない場合は、賞賛なり優越的自由なりが行為根拠となるわけで、悪口をいって他人を貶めることは立派な行為原則です。特に、生理性など何も関わっていない対抗権力組織内においては、それしかないって感じですね。かたや、真偽がどうという次元は、行為の選択の基準にはならない、真偽は行為の道筋にしか関わらない。
 要は、パチンコしたりマンガを読んだりしてストレスを発散するのと何も変わらないわけで、そりゃこんな世の中じゃご同情の余地は多いけれど、他人の迷惑だし、何よりも偉そうな理論家気取りのおじちゃんたちが悪口を糧に生きてるなんて、情けないやね。

 その結果、言ってることはホラなので、嫌になったらいつでも否定できる。組織にサヨナラしたらそれでおしまい。真偽ではないのでへいちゃら。 
 一方、ホラを吹いてたことには何の反省もないから、転向者は別方向からまたぞろホラを吹き出す。
 いいやね、政治屋さんたちは。気が楽で。

 しかし、
 科学とはそういうものであってはならない。科学とは、「するための」真実、因果連関の学問です。

 「空を飛べるぞ」とホラを吹くのは勝手にするがいい。それも楽しいでしょう。
 しかし、ホラではビルの上から足を踏み出せば真ッ逆様に落ちてしまうのです。