リベルテールの社会学

隈栄二郎のブログ ―生きている人間の自由とは、私の自由と、あなたの自由のことだ。そして社会科学とは、この人間の自由を実現する道具だ。

ネット雑感

 こんにちは。今日は日本海側は大雪とのこと。奥羽山脈というのは誰が作ったのかしら。
 近年はいつも昼書きなので感想しませんでしたが、昨日は夕方、夕日が見えたのでベランダに出たところ冬の匂い。枯木といい寒さといい、ああ、小さい頃と変わってないな、と感傷しました。小さい頃はいやなことばかり。
 
 さて、東京地方の晴れた昼は、梅に鶯。ウグイスね。
 ネットを見てたら、梅にウグイスなんかいない、あれはメジロだ、というわけわかんない論が。紫陽花にカタツムリはいない、みたいに、なんか他人と違うことを言いたいんだろうねえ。
 残念でした。カタツムリの件と同様、ウグイスも梅に来て食後のデザートを嘗(な)めてます。まあ聞香をしてるのかもしれませんが。もちろんメジロも来て、こっちのほうが目立ちます。
 都会の若人は誤解のなきよう。
 
 今日はネット情報ね。
 「「弥生人」そっくりさんに10人入賞 誰が一番似ている?」 鳥取毎日新聞
 これは鳥取市の遺骨そっくりさんイベントで、写真が並んでました。
 だから、こういうのは日本国じゃなくて、地域のはなし。
 ちょっとネットの写真を見ていただくと、自称似てたって、全く鳥取人ではない。左から3.9番目は東北、6番目は九州、7番目は北海道。いつまで残っていくかは別として、この50年は変わらなかった遺伝子配置。と思えば、平成までの遺伝子配置ということで、他称骨相学者はちゃんと写真集にして記録しとくべきだね。
 
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 「まだまだある! 関西出身者が東京でショックを受けたこと!「スタバのコーヒーかなり濃い」「味噌汁を右側に置かれて戸惑った」(All About NEWS)
「飲食店で味噌汁を右側に置かれて戸惑った。関西では左側なので」(30代・女性)」
 え! シンプルに嘘だと思ったら、そうなんだってね。いや、知らないこととは知らないことだ。右には主菜を置くんだってさ。
 いいねえ、関西って昔から「主菜」なるものがあったようだよ。関東じゃ、ご飯は味噌汁で食べるもんさね。あとは、食卓の真ん中の漬物をみんなでつまむのさ。
 と、日本史の本に書いてある。
 わたしんちも朝食はそうでした。夜は主菜はあったけれど、その代わり味噌汁がなかったから、考慮の外。関より東の夕食は、味噌汁がなくとも鍋ものだろうから、やっぱり右にお椀でしょ。それで戸惑った記憶はありません。
 
 「イタリア人にとって最も受け入れがたいのが「パスタにケチャップをかけること」。「容認」が7%、「容認できない」が89%に上り、日本で人気のナポリタンなどはイタリアでは邪道に映るという「食文化の差」が浮き彫りになった。」(ロンドン共同)
 まえ、『テルマエ・ロマエ』(というマンガ)のヤマザキマリが、ナポリタンが好きで自宅(イタリア)パーティでイタリア人に食わせたら、みんな嫌な顔をしたが、結局完食して「やった!」と思った、って書いてたよ。ま、味じゃなくてただの文化さ。
 
 あれ? ネットにも「北京オリンピック開幕」がでてないね、政治話はあるけど,NHK国営放送だけかと思ったら。それも淋しいんじゃないか。わたしゃただのミーハー。
 
 さて私事、
 暮れに書いたように社会学に愛想つかして、次回作の社会学批判の部分を削除しまくっているわけだけれど、そうすると具体的な話がどんどん消えてゆく。私もいかに社会学徒か、って(思い)知らされるところです。
 で、その後に残るものは純粋な思弁なわけだ。
 という現実では、私など吉田民人氏(という社会学の思弁学者)なんかにはずいぶん敬意を払ってるんだけど、実際彼の本を読むときは「しらねえよ、そんな手前勝手な構制。勝手にやってろよ」と思うわけで、しかし、ということがブーメランするじゃないかね。いや、同じことが読者諸氏に生じるのはなんとか避けたい。
 思弁は思弁のためにあるのではなく、読者諸氏のためにある、という。そこが学問は自分が生きる糧としてあるという人種と論文量がかさめばいい人種との違いだからね。
 
 じゃあ、って、「じゃあ」が困る。どうすっかね。
 ホネだけの文章を読者一般が嫌うのは歴史的真実だからねえ、、、