リベルテールの社会学

隈栄二郎のブログ ―生きている人間の自由とは、私の自由と、あなたの自由のことだ。そして社会科学とは、この人間の自由を実現する道具だ。

歴史における庶民の意識(久しぶり)

 こんにちは。今日はいい天気なので少し明るい。ほんとにコロナコロナで気が滅入る。どんどん画面の入力文字も見えないし。ぐちブログになってしまう。
 とはいえ、春、久しぶりの休日天気で、気晴らしの花見にはいい日和。いつもいいますが、多少葉っぱが出たほうが春らしいし、散る花びらもきれい。歩ける範囲でまだ間に合う桜を探すのも一興かと。
 
 こんな春らしい写真ニュースもあるよ。
「北海道恵庭市にある農業と環境のテーマパーク「えこりん村」で、羊の出産がピークを迎えている」「2日時点で約400匹が誕生。さらに60匹ほどが今月下旬までに生まれる見込みだ。柔らかい毛に覆われた子羊たちは、母羊を追いかけて乳を飲んだり干し草に寝転がったり。獣舎内でもかわいらしい鳴き声が響き渡っている。」(読売新聞)
 なんて楽しそうな子羊と、なんて誇らしげなお母さん。幸あれ、ねえ。ほんとは幸ないともいえるけど、でも、たとえ短くともねえ。
 暗いか。
 
 暗いついで。
「一般的に使われる使い捨てのマスクをすると、ウイルスはマスクの外に出なかったとする実験結果を香港大学などのグループが発表」「空気中を漂うような飛まつの中からも、ウイルスが検出されなかった」(NHK)
 なにをこの期に及んで。今まで「マスクは大きな飛沫だけ防ぐから、ないよりマシ」とか言ってた医者たちは、あれは何? いやもう長年知らされてます。医者の口はみんな受け売り。聞いて意味があるのは彼や彼女の「経験」だけ。科学のかの字もありゃしない。
 もちろん、こんなニュースだって眉唾だけどね。
 で、アメリカ国民もマスクをつけるって。巨大な買占めがさらにいっそう。もうカネのない国はおしまいだね。食料自給率以外に「マスク自給率」もカウントするようにしないとね。
 
 日本じゃアベがマスク配るってったらさんざんな評価のもよう。まあ総額200億円プラス配達料50億円、プラスその他人件費等、つったら、1軒200万で1万5千世帯分ほどにもなろうから、悪口もしょうがないね。
 ただ、じいさんが子や孫にマスク配りたがるのであればそれはそれでモラリスト的にはいい気持ちもするんだけどねえ、もちろん私費でね。税金は爺いの持ち物ではないぞ。でも気持ちはそんな気持ちだろうねえ、囁いた官僚も家では買いたいけど買えないんだろ。

 志村けん氏がなくなった件。志村氏、私はコント以外は知りませんが、あまりいい思いもないところ、みなさんが弔辞的に褒めてらっしゃる。まあ喜劇界じゃあ権力者だろうから、と思っておりましたが、ふと反省するに、やっぱり頑張った偉い人だったんだろうねえ、と考えを変えました。不肖モラハラシスト隈は、50年前彼がテレビに出た瞬間から見ておりますので、彼の必死さというのは痛々しく焼きついている、なのに、それであの笑いかよ、ウソツキにもほどがある、との思いが続いておりました。
 ところが彼的には生涯必死さを続けたようです。それで生涯を遂げれば、それは人は帽子を脱がなくてはならない。偉い人だったのだろう。「冬の蝉」(さだ)かね。
 私が帽子を二重に脱いでいる田崎真也氏に似てるしね。顔が。

 さて、コロナの間を縫うように話題を見つけて本題。
 このコロナ騒動を佐伯啓思朝日新聞で ”こんな余裕のない社会じゃだめだ、市場主義や効率主義はどうしようもない” といっておりました。市場主義? 悪いのが資本主義本体っていえないところが小者だけどね。佐伯って、経済学者で自称真正の「保守主義者」ね。しかし、「市場でやりとりする」からじゃないだろ、資本家も労働者も資本によって行動を制約されているからだろ。それは市場主義ではなく資本主義本体だ。経済学やっててそんなの知らねえとはゆわせない。単におれはアカじゃないぞと表現しているだけだ。 
 は、いいとして、余裕問題。「昔だって資本主義だぞ、なんで余裕があったのだ? それは「市場主義と効率主義や過剰な情報文化」がなかったせいではないのか」てな非難。
 はい、違います。それは後進日本の賞賛と優越のせい。ということは権力の源泉のせい。
 実際私の知ってる50年前は、公務員はおろか、大企業でも中小企業でも、余裕というのはあったのですよ。もちろんこれら3者で現象形態は違うけれど。
 公務員:幹部の俺はお山の大将、だけど金じゃなくて国や地方のために身を粉にして仕事をする、お前らも俺を見習え。やるときにそうやれば、後の時間はどうでもいい。
 大会社:みんながんばってやってくれれば生活は保障する。幹部も平もそれは一緒。待遇も一緒だし、仲良くやろうぜ。
 中小零細企業:よしわかった、おれが親だからな。大企業と比べたら待遇は悪いかもしれないが、しかし俺だって親だ、俺の責任で決してわるいようにはしないぞ。
 こんなこと本に書いてないしょ。どうですか社会学者のだんな、わたしゃ自称労働社会学徒だけどそんな論文読んだことないぞ、もちろん「温情主義」「家族主義」っちゅうのはあるけどね。しかし、その本体は別に温情ではない。「親」といっても「家族」から導出される主義でもない。その本体は生産共同体の長が取るべき態度であり、価値基準であり、従って、賞賛と優越の問題なのだ。
 ま、これも戦前から50年前までで、今じゃ違うからいいんだけど。
 ともかく、この論理が生活の隅々に蔓延したところでは、もう死ぬほど働かせる理論はない。いわく、余裕。悪の代表、トヨタは別として。
 で、この3様は順番なのだけれど、これには欠けたものがある。農民です。農民は別か? いや農民こそが余裕の本体。
 公務員の上に「地主」が来る。というのがわかんないと、あなたが社会科学徒ならいまいちだぜ。後進日本で一番偉いのは地主。貴族院の構成は? 大地主の財産を引き継いだ地域支配者である華族等と、地主が送り込んだ帝大出の官僚と地主そのもの。すべてが、地主(財閥資本家もいますが)。
 地主ってそもそも働く? いいや働かない。地主は結果として支配のシステムを全うすればそれでよい。
 ここで、権力者地主が労働管理者の尻を引っぱたくという構造はゼロなのです。
 もちろん労働管理者は資本主義の論理で働くし、労働者は更に別の資本主義の論理で働く。にもかかわらず、資本主義は同じ基準において、余裕を持てる、のです。地主と一緒に正月を祝い盆を祝い、親が死ねばそれは大変だ、ゆっくり休めと休みも「くれる」、子供が病気「で妻も寝てたら」わかったよ、後は社長の俺に任せろ」ということになる。「ことになる」のは恣意だけれども、要するにそれが可能な体制を企業体も常に常態で持つのです。もちろん公務員なら監査もその通り行われるし、議員の監視も同等です。この権力的公務員に大企業は合わせるので、問題は必死についていこうとする中小零細企業だけ。現実としてしわ寄せの来る中小零細に相当な格差が生じた、というわけです、過去ね。しかし、農民の権力上の衰退と資本主義の全般的危機による世界競争の激化は、資本主義に論理上本来の効率本位主義をもたらした、というわけです。
 実証で示せ?
 お暇な方がどうぞ。実証はそれに身を投じた方がやるべきで、やらなかったのを理論家のせいにしないように。
 って、尻、まくってるね。
 自分に良いようにばかり書いてる? モラハラだからね。しかし、そうだからこそ、それぞれがそれに合った人生を自分の人生として選ばなければならないんだよ。たとえばどうしても悪いのは市場主義だといいたければ、保守主義者ではなく、資本家の走狗といわれることを容認する、それで本人がよければ他人のことだからそれでよし。

 と、こんなふうにケンカ腰だと、明日後悔するのね。下品だからね。
 ま、このブログのレベル的には最低限の範囲内でしょう。

 
 (注)「市場主義」は市場の機能で生産と消費を調整すること。辞書に書いてある。資本主義とは資本の本体である利潤を労働者(と自分)の行為を犠牲にしてひねり出すこと。従って市場主義には社会主義もありうるが、資本主義には社会主義はない。あたりまえだ。